6月11日(火)校長ブログ「Make it Kozy!」vol.58~楽しや授業~
今日は、1年生の公開授業とPTA学年集会。私は、残念ながら、校長会へ出張。私が学校を出る時間と、保護者の方が来られる時間とが重なったため、「こんにちは!」「こんにちは!」と挨拶を交わしながらすれ違う。
ちょうど昼過ぎで、気温も上昇中の暑い時間でもあり、お母さん方の多くは日傘必須で顔をしかめながら歩いて来られるが、挨拶をすると笑顔で返してくださる。たった一言でも、あるとないとでは大きな違い。心が軽くなる。さてさて、何人の方が来られたのか。
お子さんの授業態度が第一の関心ながら、授業者の振る舞いもさらなる関心事。見られるのもプレッシャーだが、見られてナンボの職業でもある。ここぞとばかりにイキればよい。経験の浅い教員は良く見られようと思っているかも知れないが、大切なのはとにかく格好つけずに誠実に教えること。要は、生徒にこうなってほしいと強く思いながら接すること。そういう気持ちは、当然生徒に伝わるし、保護者の方にも伝染する。一つ一つの授業を大事にしていれば、テクニックは自然についてくる。
見られることを楽しむ。その姿勢が、まさに生徒の見本になる。教員の成長は、そのまま高津の成長、発展につながる。Make it Kozy!は、生徒だけではない。若さは最大の宝物。経験を最大の武器とする含蓄ある先輩教員と渡り合えれば幸せ。一気に輝く時を待つ。頑張れ、高津高校教員チーム!
今昔の 今しかできない 幸せを 積んで積もらせ また明日に継ぐ
ちなみに、今の私の幸せの一つは、たまに訪れる教え子との時間だが、何より嬉しいのは、彼らと昔話ではなく今の、そして未来の話ができること。ノスタルジックな思い出話だけでは生産性がない。大切なのは「今」である。
6月10日(月)校長ブログ「Make it Kozy!」vol.57~「問う」ということ~
昨日は、山口県立徳山高校の理数科40名が高津高校を訪問。SSH指定校の交流の機会として、クリエイティブ・ラボにて、オーラル発表やポスター発表を開催した。その後、質問し合ったが、本校生も自分たちの研究を見つめ直すとともに、環境の異なる地域の1年生の研究意欲に大いに刺激を受けた。
徳山高校は、前日にも滋賀県の膳所高校と京都大学を訪問し、そこでも様々な刺激を受けた状態で本校に来たこともあり、本校の発表後、司会が「では、質問をお願いします」と促した瞬間に数名の手が上がるという理想的な質問タイムとなった。
普段の講演のみならず、探究や研究の発表会の質問タイムにおいて、なかなか手が上がらないこともある。心が動いていない証拠でもあるが、研究者に必要なのは、気づきや疑問が常に生まれること、そして、相手をうならせる「質問力」だ。何もなければ、一般的な質問でもよい。質問は、発表者に対する敬意を表すツールでもあるし、自分を高めるチャンスでもある。要は、発表会では、質問してナンボなのである。お互いが刺激を受けて、質問のやり取りで、自分の理解も相手の理解も深まり、新たな「問い」が生じるのが理想である。
切磋琢磨するというが、聞いているだけでは、切磋琢磨など程遠い。そういう意味では、昨日の発表会は素晴らしかった。相手が1年生で、こちらは2年生も3年生もいたが、研究の世界で、学年などどうでもよい。共通の疑問や興味・関心を分かち合えるほど幸せなことはないのである。いわゆるオタクのオタクたる強みを出せる場であればあるほど、きっとさらに問いは深まる。時間を忘れて、遠慮なく没頭できる、そんな環境が羨ましい。ちなみに、還暦前だというのに、「〇〇オタク」と自慢できるモノがない。あー情けなや。Make it Kozy!問い続けよ、高津生!
のめりこむ 周りが見えぬ 幸せよ

6月7日(金)校長ブログ「Make it Kozy!」vol.56~啐啄同時~
「啐啄同時」という言葉がある。「またとない好機」のことを言う。または、学ぼうとする者と教え導く者の息が合って、相通じること。鳥の雛ひなが卵から出ようと鳴く声と母鳥が外から殻をつつくのが同時であるという意から来ている。
本日、教育実習生が3週間の実習を終えた。すでに5名は先週に2週間の実習を終えていたが、皆卒業生でもあり、後輩の生徒を見守る目も優しかった。それでも、教師という職業は、今後ますます大変になる。教育実習生に、教員不足の理由を尋ねると、やはり、「不祥事やブラックな面ばかりが大きく報道されている」「残業が多い、休めないといった待遇が悪い」ということを挙げる。
逆に、なぜ教師になりたいかという質問には、「教えることが好きだから」「良い先生に出会ったから」というのが大きい。30年以上前は、「夏休みがある(実はそれほどはなく、部活動顧問は特になかった)」「テスト休みがある(これも実はなかった)」「公務員として安定している」ことから、「教師にでもなるか」「教師しかなれん」と、「でもしか先生」とも呼ばれて、どちらかというと、楽な仕事というイメージがあったので、少なくとも私が生徒の頃は『個性』という言葉では表現できない教師もいた。
それを思うと、教育実習生の思う教員不足の理由はもちろんだが、単純に一人の教師にかかる仕事量や責任が多すぎて、かつ、求められるスキルがあまりにも高すぎるのである。確かに『教員免許』をもって仕事をしているかぎり、プロとしての責任があるが、全員が全員、何でもできるスーパーマンではない。担当教科の専門性については大きな責任があるが、それぞれ得意分野が違うのだから、できることとできないことがある。「教師なのだから」が当てはまる部分と当てはまらない部分があるのである。だから、現在、学校は「チーム学校」として、行政や外部の専門機関と連携することで何とか動いているのだが、目の前の仕事量だけは物理的に手に負えない。現状のまま、時間削減を優先すれば、仕事が余るということは、小学校の足し算引き算ができればわかるのである。
と、気が付けば、教員不足を助長するような話になってしまったが、それでも、教師をめざす人たちや、現役の教員に、話を聞くと、やはり「教育」「人を育てる大切さ」を始め、「学ぶ喜びを与えたい」「人生に大切なことを伝えたい」「部活動を通して、一緒に泣いたり喜んだりしたい」という教師としての『生きがい』『教師冥利』に魅力を感じるという。
その純粋な動機に嘘はなく、実習生の学ぶ姿勢にも意気を感じる。そのうちの一人は、私の大学時代のアルバイトの後輩だという。実は、教員の一人も後輩であり、一種の絆を感じている。数名にそんな話をすると、皆、「アルバイトの後輩?絆って、アルバイトにそんな関係あるんですか?」と、不思議そうな顔をする。普通の人にはわからんだろうなと感じつつ、「また、時間あるときに話すわ」と笑顔で返す。それこそ約40年続く、大学時代のアルバイト先でしか生まれない特別な人間関係は、一生の宝物として心の中にドンと収まっている。…あ、もちろん闇バイトではないので、ご安心を。
卒業生の教育実習生たちよ。いつもは、若者の考えを知りたくてゆっくり話す時間を取っているのだが、出張ばかりで時間が取れなかった。この先、教師になろうがなるまいが、幸せな人生を送れるよう、頑張ってください。縁を大切に。応援している。頑張れ、高津卒業生、Make it Kozy!
ふいに来る 啐啄同時 逃さずに








