4月3日(水)校長ブログ「Make it Kozy!」vol.3~日新日進~
高津高校の『校是』、「日新日進」。『にっしんにっしん』と読む。校風の「自由と創造」とともに、初代三澤糾、二代羽生隆の両校長を建学の柱とし、これまで100年以上の歴史において発展してきた。
昨日、『校風』について述べたが、本日は『校是』。よく聞く『校訓』とは似て非なり。『校訓』が、各学校が教育目標や教育方針・指針をあらわしたものであるのに比べ、『校是』は、さらに根っこにある学校設立の根本精神のこと。とにかく何事も大仰だと感じるが、それも悪くない。どうせ語るなら、大上段に構えて思い切り言い切った方が良い結果が期待できる。結果的に大ほら吹きになったとて、大概は謝れば命まで取られない。
その『校是』である「日新日進」には、文句なしに惚れた。日に新たに、日に進むと、その読みまでは正確にわからぬが、私自身のモットーの一つである「昨日の自分に負けるな」と共通する『校是』である。昨今、時代の変化もすこぶる早く、どこの企業においても、「現状維持は停滞」は当たり前のフレーズになっている。学校とて同じ。ICTを活用せよ、と言われて久しいが、とっくの昔に生徒は使いこなしている。昭和ゴリラも、アナログを恋しく思いつつも、一本指で懸命にタイプを叩いている。
古くは100年以上前の『校風』『校是』も、令和のこの世に誇り高く宣言できる、至極新鮮な言葉であると身に染みる。
明日もまた どう生きるかと 問い続け
4月2日(火)校長ブログ「Make it Kozy!」vol.2~自由なるもの~
「自由と創造」。高津高校の『校風』である。『校訓』や『教育目標』はよく聞くが、『校風』を自ら謳うのは、なかなかない。というのは、『校風』はあくまでも外から来た人がその学校の生徒や学校の様子を見て、感じるものだからだ。それを自ら謳うというのは、「そう思うでしょ?」とか「そう感じてくださいな」と訴えているようなものである。が、さらに深く考えてみると、実は「自由と創造」を周りの人が感じるほどの振る舞いをせよ、それほどのオーラを身に纏えということかもしれないと思えてくる。
さて、本校の生徒たちは、そのオーラを身に纏っているのだろうか。来週が楽しみだ。
自由とは 花散るごとく いずこへ行かむ

4月1日(月)校長ブログ「Make it Kozy!」vol.1~いざ、桜とともに!~
先週までの寒さとは打って変わって、一気に超春!(私が今作った語)である。桜の蕾も慌てて花びらを広げようとしているのがよくわかる。いや待て、慌てるな。例年より遅いのは良いが、慌てて満開したとて春のしぶとい雨にやられては元も子もない。じっくり育てよ、桜の木。
ということで、本日、高津高校に着任。いろいろ人のできない経験をして、前任校で3年校長を務めた。実に充実した三年間だったし、教職員の皆さんと、保護者や地域の方々に支えられながら、生徒の成長を楽しく見守ることができた。本当に感謝しかない。
とはいえ、過去に縋るほど暇ではない。目の前のやることが多過ぎる。初めて見る本日の予定に、この先一週間の予定。キャパの少ない脳ミソが渋滞している。
こんな時は、一瞬の現実逃避。といっても、もちろんサボるわけではない。音楽の先生から、6日の定期演奏会のお誘いがあり、そのパンフレットは生徒の練習場にあるという。お持ちしますと言ってくれたが、それでは生徒たちの顔を拝めないので、3階まで様子を見に行く。すると、皆、定位置に座って、今にも演奏が始まりそうなムード。邪魔してはいかんと少し控えめに立っていたら、数人の生徒がこちらに気づいた。と、そこから瞬時に全員が起立して、幹部の3名がサッと寄ってくる。「今日から校長になった寺本です。よろしく!」と自己紹介すると、「今は77期生が16名で、78期生が18名で頑張っています。定期演奏会、見に来てください!」と応える。「ぜひ聴かせてもらうわ」の一言にワーッと想像以上の歓声が上がり、一連の反応の良さにこちらが恐縮する。「君らの演奏を純粋に楽しみたいので、練習は見んとくわ」と言って去る。6日が楽しみだ。
午後からは職員会議での挨拶だが、実際職員の99%が初めまして。この歳になってこんな経験ができることに感謝しつつも、顔と名前が一致するのはいつになることやら…皆さん、名前を間違ったらごめんなさい。
ただ、そんな不安もたくさんの教職員が消し去ってくれる。何と、わざわざ校長室にそれぞれが挨拶に来てくれる。教科でまとまって来てくれたり、何か用事があるのかと思ったら挨拶だけのために来てくれたり。
…というわけで、人見知りでコミュ力不足の昭和ゴリラが、人間の温かさを感じた着任初日であった。刺激の多い一年になりそうだ。
人間の もっと近くに 春ゴリラ
※校長日記のタイトル「Make it Kozy!」は、「高津らしく行こうぜ!」という意の造語です。








